シマオオタニワタリ(シダ植物)に含まれる多数の異なる生物学的種 2008.08.05
著者: 村上 哲明 (首都大学東京・大学院理工学研究科生命科学専攻(牧野標本館))
はじめに
シマオオタニワタリ(Asplenium nidus L.)は熱帯を代表するシダ植物の1つである(写真1)。この種は分類学の祖といわれているリンネによって記載され、その存在はずっと昔から知られていた。この種は、西はアフリカやマダガスカルから、東南アジア、東アジア(日本も含む)、オセアニア、そして東はハワイにまで広く分布していると考えられてきた。私の研究室では、このシマオオタニワタリを材料にして光合成に関係した遺伝子の塩基配列解析と人工的な掛け合わせ実験(人工交配実験)を行うことによって、この種に多数の互いに交雑できない群、すなわち複数の異なる生物学的種が含まれていることを明らかにしてきた。
シダ植物の隠蔽種
現在、シダ植物は世界中で約1万種が認識されている。これらは、基本的に葉や胞子嚢群の形の違いによって識別されてきたものである。シダ植物の形態は単純なので、生物学的には別の種として扱われるべきものであっても、形態による識別が非常に困難であるがゆえに、これまで同じ種として扱われてきたもの(隠蔽種)が少なからず含まれている可能性があると私達は考えた。この仮説を検証するためには、形で区別できない隠蔽種をどのように識別するのかが問題となる。人工交配実験は手間が掛かるので、片っ端から人工交配実験をして隠蔽種を探索するのは現実的ではない。そこで私達は、これまでに種の認識や識別にはほとんど使われたことがなかったDNAの塩基配列情報を隠蔽種を探索する指標として活用することを思い立った。 DNAの塩基配列情報は、種の識別に用いるのに都合の良い性質をもっている。分子時計とも呼ばれるように、種が分かれてからの時間にほぼ比例するように塩基配列の違いが大きくなっていく性質をもっているからである。したがって、DNAの塩基配列の違いを調べていけば、隠蔽種といえども確実に違いが見つかるのではないかと考えたのである。
ハリムン国立公園のシマオオタニワタリに見られた3つの遺伝子タイプ
隠蔽種を探索するための研究材料として、私達が選んだのがシマオオタニワタリであった。シマオオタニワタリは、これ以上外部形態が単純になりようのないような形態をもつシダ植物の種で、しかも広分布種である。私達は、生物多様性が高い東南アジアの湿潤熱帯林に生えているシマオオタニワタリを使って詳しい解析を始めることにした。具体的に調査地として選んだのは、日本政府のODAでインドネシアのジャワ島に最近開かれたハリムン国立公園である。この国立公園には、歩いて1時間ほどで戻ってこられる周回散策路が造られていた。その散策路沿いで30個体のシマオオタニワタリから一枚ずつ葉を採集し、日本にもち帰ってrbcLという遺伝子(光合成の際に空気中の二酸化炭素を固定する酵素の遺伝子)の塩基配列を決定した。すると、この遺伝子の塩基配列が大きく異なった3つのタイプのシマオオタニワタリが見出された。そこで頻度の高かったものから順に、それぞれ、A、B、Cタイプと呼ぶことにした。DNAを解析する際に残しておいた30サンプルの押し葉標本を見てみると、これら3つのタイプは、いずれにも間違いなくシマオオタニワタリであり、その形態だけから識別することはできないことがわかった。
人工交配実験とrbcLタイプ間の生殖的隔離
今回見出したrbcL遺伝子の塩基配列が大きく異なるシマオオタニワタリの3つのタイプが本当に別の生物学的種かどうかを調べるためには、人工交配実験を行う必要がある。交雑しない、あるいは交雑しても次の世代を継続して生み出していけるような子孫が形成されないことは、それらが別の生物学的種であることを示すもっとも強い証拠となるからである。そこで、私達はハリムン国立公園の同じ場所へ戻って、これら3つのタイプの胞子をそれぞれ複数個体から採取した。そして、ハリムン国立公園産の3つのrbcLタイプ間で繰り返し交配実験を行った結果、これらの間には全く雑種が形成されなかった。これら3つタイプの間には強い生殖的隔離があることがわかった。
シマオオタニワタリの3つのrbcLタイプ間の生態的分化
狭い地域に共存しながらも、それぞれが異なった生育環境に生えていることを示すことができれば、それらが自然界に別の生物種として存在していると明確に結論づけることができる。そこで、ハリムン山国立公園に生育するシマオオタニワタリの3つのタイプ間で生育環境も詳しく比較・調査してみた。
シマオオタニワタリは、基本的に熱帯の高い樹木に着生して生育している。熱帯の樹木は高いものも多い(低地では、樹高が60mを超えるものも少なくない)。多様な環境からシマオオタニワタリを採集するためには、木の高い位置に着生している個体も採集する必要がある。熱帯樹木の生態学者の中には、ロープなどを用いて木に登って調査をしている。しかし、木登りは習熟していないと、落下など大きな危険を伴う。そこで、私達は、軽量なカーボンロッド製の7m40cmの釣り竿(正確には、たも網竿)の先にガムテープで鎌をつけたものを用意し(写真2)、それで木の高いところに着いているシマオオタニワタリ類も容易に採集できるように工夫した。また、各採集地点の海抜高度は、高度計を用いれば簡単に測ることができるので、そのようにした。さらに各個体にどのくらい日が当たっているかも調査・記録した。
その結果、AタイプとBタイプは、ほぼ同じ海抜高度に生えているものの、Aタイプが木の低い位置に着生して、非常に暗い環境に生えているのに対して、Bタイプは樹のより高い位置に着生し、半日陰などのより明るい環境に生えていることがわかった。このような生育環境の違いは、一本の木にA、B両方のタイプが着生している場合には特に顕著にみられた(写真3)。一本の木の上でも、下部にAタイプ、上部にBタイプが棲み分けていることが普遍的に観察されたからである。一方、Cタイプについては、生育環境はBタイプと似て、比較的明るい環境に生えるが、A、Bタイプよりも海抜高度がより高い場所に出てくることがわかった。また、A、Bタイプが川沿いの比較的湿った林の中に生えるのに対して、Cタイプは尾根沿いのより乾いた林に生えるという違いもみられた。このように、ハリムン国立公園の3つのタイプは、生育環境の上でも分化していることがわかった。これら3つのタイプの間には生殖的隔離に加えて、生態的分化も見られたわけで、形態では識別が困難であるものの、明らかに別の生物学的種として自然界に存在していると結論づけられた。
シマオオタニワタリに含まれる多数の隠蔽種
ハリムン国立公園にある研究者用宿舎の周り(海抜1,100m付近)だけでも、3つの隠蔽種が見つかった。しかし、ハリムン国立公園は、海抜1,000m~1,800mの範囲の広大な低地林?山地林を含んでいる。そこで、さらに様々な高度からシマオオタニワタリのサンプルを採集し、rbcL遺伝子の塩基配列解析を行ってみた。その結果、ハリムン山の頂上付近(海抜1,800m付近)には別のDタイプ、さらに海抜1,000mあるいはそれ以下の低地部分にも別のEタイプが見出された。これら2タイプは、いずれも、A~Cタイプとは塩基配列が大きく異なっていた。また、ハリムン国立公園と数十キロ離れているゲデ山国立公園でも調査してみたところ、場所が違っても高地に出てくるDタイプは高地に、低地に出てくるEタイプはやはり低地で見られることもわかった。好んで生える生育環境は、隠蔽種ごとに一定しているようである。
シマオオタニワタリは本稿の冒頭でも述べたように旧世界の熱帯地域に広く分布しているわけで、さらに調査地を広げてサンプルを集め、rbcL遺伝子の解析を進めてみた。その結果、ハリムン国立公園で見られた5タイプ程度に互いに塩基配列が異なるものなら、何十ものタイプが見つかってきた。交配実験の結果でも、rbcL遺伝子が大きく異なっているものの間では、交雑できないことがわかった。シマオオタニワタリと呼ばれてきた形態種には、少なくとも30以上の隠蔽種が含まれていることが明らかになったのである。今後、さらに調査を続ければさらに多くの隠蔽種が見出されるに違いない。
おわりに
これまで世界で約1万種のシダ植物が、その形態によって識別されてきた。そして、多くのシダ学者は、これまで認識してきた種の2倍程度の数のシダ植物が地球上に存在しているに過ぎないと考えてきた。しかし、シダ植物には形態で識別できない隠蔽種がたくさん存在していることが示されたわけで、生物学的種の数で言えば、数十万の種がシダ植物に含まれている可能性は十分あると私は考えている。
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