ニハイチュウの自然史 2009.08.26
著者: 古屋 秀隆 (大阪大学大学院理学研究科生物科学専攻)
ニハイチュウ類は底棲の頭足類(タコ類、コウイカ類)の腎臓を包む袋状の腎嚢の内部を生活の場とする数ミリメートルの多細胞動物である(図1)。ニハイチュウ類は、古くからその少ない細胞数と単純な体制から、単細胞動物(原生動物)と多細胞動物(後生動物)をつなぐ中生動物(Mesozoa)として知られるが、その後、ニハイチュウは後生動物の一員であることがわかり、現在は二胚動物(Dicyemida: 2種類の幼生=胚をもつ意)としてあつかわれている。
ニハイチュウは、系統的に扁形動物、環形動物、および軟体動物などの仲間と関係が深いとみられている。つまりその見かけほど原始的な動物ではない。しかし、ニハイチュウには、それら関連のある動物群がもつ消化管、筋肉、神経などはいっさいみられない。これは、ニハイチュウが寄生生活に移った結果、ニハイチュウの体制が極度に単純化したためであると考えられている。ここでは、そのような想像を絶する体制の変化をとげたニハイチュウとはどのような動物か紹介する。
日本のニハイチュウ相
現在、日本近海、台湾、北海、地中海、アフリカ沖南大西洋、アメリカ大西洋岸、メキシコ湾、アメリカ太平洋岸、ニュージーランド近海、および南極近海の約90種の頭足類から3科8属、約110種のニハイチュウがみつかっている。日本からは14種の頭足類から4属36種のニハイチュウが記載されている(表1)。ふつう1個体の頭足類に1~3種のニハイチュウがみられ、多いもので、イイダコやコウイカでは5種のニハイチュウが発見されている。ニハイチュウと頭足類は寄生関係にあり、寄生虫のように寄生する動物が決まっている宿主特異性もみられる。
生活史
ニハイチュウ類には無性生殖と有性生殖がみられ、それぞれの生殖サイクルから蠕虫型幼生と滴虫型幼生の2種類の幼生が生じる(図2)。つまり、(1)蠕虫型幼生→成体→蠕虫型幼生という宿主の腎嚢内で完結する無性生殖による成長・増殖のサイクルと、(2)成体→蠕虫型幼生→成体→滴虫型幼生→?→成体という旧宿主から新宿主への到達と新宿主の腎嚢内での成長サイクルという2つのサイクルがある。無性生殖によって腎嚢内の個体群密度が増大すると、有性生殖のサイクルに移行すると考えられている。そこで発生した滴虫型幼生は宿主の排尿に際して海中に分散し、旧宿主から新たな宿主に到達し、その腎嚢内で成長した後、しばらくは無性生殖で増殖すると考えられている。
体制
図3: さまざまな形態のニハイチュウ類
a-f 蠕虫型個体の全形; a. Conocyema polymorpha; b. Microcyema vespa; c. Dicyemennea sp.; d. Dicyemennea sp.; e. Pseudicyema nakaoi; f. Dicyema acuticephalum
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ニハイチュウは、その形態2つの体制に分けられる。それらは、腎嚢内で生活する蠕虫型個体と海水中に分散するとされる滴虫型幼生である(図2)。蠕虫型個体とは成体(ネマトジェン、ロンボジェン)と蠕虫型幼生のことである。ほとんどの種の蠕虫型個体は長虫状であるが、種によっては前部が大きく肥大する種、体が不定形のアメーバを思わせる種もみられる(図3)。しかし、体制は基本的に同じであり、外側を覆う10~30個の体皮細胞と内部に位置する1個の軸細胞からなる (図2)。
図4: 成体の軸細胞内で発生する2タイプの幼生
A. ネマトジェンの軸細胞内でアガメートから発生した蠕虫型幼生
B. ロンボジェンの軸細胞内に形成された両性生殖腺(インフゾリゲン)と自家受精して発生した滴虫型幼生
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図5: 3属の蠕虫型幼生の形態
左: D. colurum; 中央: C. polymorpha; 右: M. vespa
それぞれ矢状切片と外表面(繊毛は省く)を示す。AG: アガミート; AN: 軸細胞の核; AX: 軸細胞; CL: 極帽; DP: 間極細胞; MP: 後極細胞; PR: 側極細胞; PP: 前極細胞; T: 胴部体皮細胞; UP: 尾極細胞
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図6: 典型的な滴虫型幼生の形態
左から、背面(繊毛は省く)、 腹面(繊毛は省く)、 側面(繊毛は省く)、 矢状断面を示す。
A: 頂端細胞; AL: 前側細胞; AN:軸細胞の核; AX:軸細胞; C: 蓋細胞; CA: 嚢壁細胞; DC: 背尾細胞; DI: 背内細胞; E: 外被細胞; G: 生殖細胞; L: 側細胞; LC: 側尾細胞; MD: 中背細胞; PD: 対背細胞; PVL: 後腹側細胞; RB: 屈光体; UC: 芽胞嚢腔; U: 芽胞嚢細胞; VC: 腹尾細胞; VI: 腹内細胞; V1: 第一腹細胞; V2: 第二腹細胞; V3: 第三腹細胞
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ニハイチュウの生殖はすべて軸細胞の細胞内で行われる(図4)。これはニハイチュウ類にみられる特異な現象で、ネマトジェンの軸細胞内では蠕虫型幼生が無性的に発生し、ロンボジェンの軸細胞内では、両性生殖腺(インフゾリゲン)が形成され、自家受精がみられる。蠕虫型幼生から成体への成長過程では体細胞は分裂せず、成長のみが起こるため、多くの種では成体の体制は基本的に蠕虫型幼生と同じである。幼生と成体との形態における大きな違いは、成体に特徴的な極帽の形態が蠕虫型幼生では未分化な点といくつかの種にみられる外形の大きな変形である(図5)。ConocyemaとMicrocyemaのように一見アメーバにも似た外観をもつニハイチュウ類もみられるが、これらの不定形種の外見や体制は、ニハイチュウ類のなかではむしろ例外的である。
滴虫型幼生は蠕虫型個体よりも小型であるが、その総細胞数は滴虫型幼生の方がより多く、一般に35、37、39細胞のうちのいずれかである。滴虫型幼生の体制は蠕虫型個体と比較すると、細胞総数が多い分、その構造も複雑であり、また特徴的な細胞もみられる(図6)。
形態の適応と収斂
図7: ニハイチュウ類の極帽形態と共存関係
a. 極帽形態の4タイプと共存パターン。 2種類のニハイチュウが共存する場合、円錐形タイプと円盤形タイプのニハイチュウがみられる。3種類のニハイチュウが共存する場合、円錐形タイプ、帽子形タイプ、円盤形タイプがみられる。4種類以上のニハイチュウが共存する場合、全4タイプのニハイチュウがみられる。
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ニハイチュウ類の極帽の外形は大きく分けると、円錐形、帽子形、円盤形、および不定形の4つのタイプに分けられるが(図7)、これは生息場所への適応であるらしい。円錐形タイプと帽子形タイプのニハイチュウ類は腎臓の隙間に体を挿入して生活し、一方、円盤形タイプのニハイチュウ類は腎臓の表面に極帽を接着させて生活している(図8)。不定形タイプのニハイチュウ類はその形状から推定すると腎臓の表面に張り付いて生活していると考えられる。また、腎嚢内に複数種のニハイチュウ類が共存している場合、それらの種の極帽形態は相異なり、また共存するニハイチュウ類の組み合わせと極帽形態には一定のパターンがみられる。2種のニハイチュウが同じ腎嚢内にみられるときは、円錐形と円盤形が共存する。3種のニハイチュウがみられる場合、円錐形、帽子形、および円盤形のニハイチュウが共存する。4種のニハイチュウがみられる場合、全4タイプが共存する。これは、腎嚢という限られたスペースの中で、複数の種が種分化した後、棲み分けできる種の組み合わせが残った結果と考えられる。
ConocyemaとMicrocyemaのような不定形ニハイチュウ類の形態は、腎嚢内でのニッチをめぐる種間競争の結果として極度に分化したものではないかと考えられる。一般的なニハイチュウ類が生息場所として腎臓の隙間や表面を占めるなか、その空いたニッチをなんとか利用しようとした苦肉の策が不定形の外形を形成したと考えられないだろうか。
繁殖戦略
どのような生物もできるだけ多くの子孫を残す方向へと、何らかの繁殖上の戦略がみられるものである。頭足類の腎嚢という独特な環境で、ニハイチュウ類はどのような繁殖戦略をもっているのだろうか。繁殖戦略に関わる生活史形質として、一般に卵サイズ、一腹卵数、幼生の発生様式などの形質が研究されるが、ニハイチュウ類の場合、インフゾリゲンと呼ばれる両性生殖腺のサイズと数や、配偶子の数において独自の戦略がみられる。両性生殖腺でつくられた卵と精子は自家受精をする。無脊椎動物では、形成される精子の数は卵よりもはるかに多いのが一般的であるが、ニハイチュウ類の場合、つくられる卵と精子の数はほぼ等しく、非常に効率的な自家受精が行われている。
ニハイチュウの繁殖戦略にみられる最もユニークな特徴は、幼生を体の内部にある軸細胞内で形成する点であろう。ニハイチュウ類は、その成体のサイズが小さいため形成できる卵の数が限られている。したがって、放卵するよりも完成した幼生を放つ方が子孫を残す上で効率がよいと考えられる。一般に海産無脊椎動物のなかでも、成体のサイズが小さな種は放卵するのではなく、親の体内で発生を進めて幼生を放つ胎生の場合が多い。特にサンゴ、コケムシ、群体ボヤ、翼鰓類など、無性生殖によって増殖した個体が集団を形成して生活する群体性の海産無脊椎動物では胎生の種が多い。ニハイチュウ類の生活形態をみると、頭足類の腎臓に体を挿入しているか、表面に接着しているかのどちらかであり、腎臓に固着した状態にある(図9)。このようなニハイチュウ類の生活形態は群体性動物の固着生活と変わらないといえる。また、群体が無性的に生殖してそのサイズを増大させるのと同様に、ニハイチュウ類の腎臓に固着している蠕虫型個体も無性生殖で数を増やす。さらに有性生殖によって形成される幼生についてみれば、群体性無脊椎動物の幼生は数日という非常に短いプランクトン期をもつが、ニハイチュウ類の滴虫型幼生も約2日間という短い幼生期をもつのである。このことから、ニハイチュウ類は群体性の無脊椎動物がとる繁殖戦略に類似した戦略をとっているといえそうである。
おわりに
ニハイチュウは頭足類の腎嚢の中で単純化の道を歩んできた。系統的に近縁と思われる動物のなかにも寄生性のものは多く、消化管や視覚などの感覚器官が退化する現象がみられる。しかし、多くの場合、寄生動物には付着器官など自由生活者にみられない特殊な器官が発達しているため、このような現象は単に退化というよりもむしろ特殊化という単語で表現する方が適当であろう。ニハイチュウの場合は、組織や器官からなる体制そのものがなくなり、少数の細胞からなる単純な体制に変化してしまった。なぜニハイチュウ類だけに極端な退化(単純化)が起きたのだろうか。その謎を解き明かしたい。
参考文献
- 越田 豊・古屋秀隆 (1999) 中生動物門. 動物系統分類学 追補版. 中山書店 pp.28-35.
- 古屋秀隆 (2000) 後生動物の起源 / 中生動物門. バイオデイバーシティ・シリーズ 第5巻 無脊椎動物の多様性と系統 裳華房 pp.102-106.
- 古屋秀隆・常木和日子・越田 豊 (2000) 中生動物ニハイチュウ研究の展開. 遺伝 54(9): 41-46.
- 古屋秀隆 (2004) 中生動物ニハイチュウの形態と生活史の適応. 比較生理生化学 21: 128-134.
- 古屋秀隆 (2004) 中生動物研究の現状. タクサ 16: 1-9.
- 古屋秀隆 (2006) ニハイチュウ類の分類に関する最近の話題. タクサ 21: 19-32.
- 古屋秀隆 (2007) 中生動物の分類と自然史. 21世紀の動物科学. 日本動物学会編 培風館 pp.11-37.
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