ヤムシの魅力 2010.02.24
著者: 後藤 太一郎 (三重大学教育学部)
動物の系統と進化に関する研究は、形態学的な手法とともに様々な分子を指標として調べられるようになって急速に進展しましたが、未だに類縁関係が不明な動物グループもいます。その一つが、私が研究対象としている毛顎動物(毛顎動物)です。この動物は海産で、その多くはプランクトンとして生息し、魚類の餌となるなど、海洋生態系では重要な位置を占めています。体は矢のような形をしており、動きが素早いことからヤムシ(矢虫)と呼ばれます。動物の系統は大きく旧口動物(初期胚に形成される原口が口になる発生様式をとる)と新口動物(原口が肛門になる発生様式をとる)に分けられます。ヤムシの発生様式は新口動物に似ていますが、体の構造は旧口動物に近いものであるため、ヤムシをどちらに置くべきか、長い間議論が続いていました。遺伝子を使った分子系統解析から新口動物でないことは確かなようですが、旧口動物の中でも節足動物などの脱皮動物群か軟体動物や環形動物などの冠輪動物群のいずれかに属すのか、あるいはいずれにも属さないのか、未だに議論が続いています。ヤムシの体は透明で美しく、その素早い動きは魅力的です。しかも、系統的位置以外にも分かっていないことが多いため、ある生物現象がヤムシではどうなっているか、少しでも多くのことを明らかにしたいと思い、もう30年もヤムシと付き合っています。
ヤムシの継代飼育
ヤムシについて理解が進んでいない理由として、実験室での維持や飼育が容易でないことがあげられます。ヤムシには浮遊性以外に底生性も存在し、特にイソヤムシと呼んで区別します。イソヤムシは比較的丈夫で、飼育も容易だと言われていましたが、孵化から成熟して産卵するまでの完全飼育については報告されていませんでした。研究対象とする動物の一生を眺めながら研究したく、イソヤムシの一種で、付着性の鰭が発達したカエデイソヤムシ(図1)を天草にある九州大学臨海実験所付近で採集して実験室で数世代にわたって飼育する継代飼育を試みました。飼育法の確立までに時間はかかりましたが、このイソヤムシを安定して飼育できるようになってからもう20年以上経ちます。成体の体長は5mmほどで、孵化から成熟までに要する世代時間は約2ヵ月であるため、実験動物としては扱いやすいものです。他のイソヤムシについても調べるために、国内の他の臨海実験所付近でイソヤムシの採集を行う他、イソヤムシの生息が報告されている地中海、フロリダ沿岸、およびオーストラリアの沿岸でも採集を行いました。日本の沿岸で採集したイソヤムシは継代飼育をしながらその生活史を調べるとともに、イソヤムシ類の種間比較を行い、実験目的によって最適種を選んで使うこともできます。採集から数年間は継代飼育が可能で、最長10年間継代飼育したこともあります。これだけ長期間にわたり実験室で継代飼育できる海産無脊椎動物は珍しいでしょう。
すべての行動に水流感覚が関わる
ヤムシについて、行動、感覚、神経、発生、分類、系統などの観点から調べています。その中で、動物が何を感じて生きているかが、私の最も興味のあることなので、ヤムシの行動と感覚についてわかってきたことを紹介します。動物は生きる上で、餌を見つける(捕獲)、敵から逃げる(逃避)、仲間を見つける(配偶)ことが不可欠です。ヤムシの餌となるのは生きている小型甲殻類や仔魚で、これらが接近すると素早く定位し、毛顎動物という名称の由来にもなっている顎毛(がくもう)で捕獲して丸呑みにします(顎毛の拡大写真があるとよい自前がないので今回は略します)。摂餌や逃避は餌や捕食者となる動物の動きを感じて起こると言われていましたが、確かに水流感覚によるものであることがわかってきました。ヤムシに対して細いノズルから水を当てるとすばやく水流刺激の方向に定位して捕獲が起こりますが、ノズルの太さを大きくすると逃避が起こります。ヤムシの成長段階を追って調べると、幼体では成体が捕獲を起こすような水流刺激に対して逃避がみられ、より微弱な水流に対して摂餌が起こることから、幼体の水流に対する感度は成体に比べて高いと言えます。また、後述するようにヤムシの配偶では、2個体が出会うと体を上下に動かす求愛がみられますが、この動きを模倣するようにヤムシの近くでボールを動かすと、ヤムシはボールに接近して一連の配偶行動を示します。水中では全身に流れを受けますが、餌となる小さなプランクトン、捕食者となる稚魚、そして仲間などの接近によるわずかな水流をキャッチし、捕獲、逃避、配偶などの行動が起こるようです。ヤムシの体全身には蝕毛斑と呼ばれる繊毛の束が全身に規則的に分布しています。この繊毛は受動的に動き、感覚神経と接続していることから水流感覚器官の候補であり(図2)、これにより体のあらゆる方向から来た流れを判断できると考えられます。また、この蝕毛斑(しょくもうはん)は再生力も強く、実験的に除去すると1週間ほどで再生します。このような水流感覚は他の小型水生動物にもありますが、ヤムシはその中でも特に水流感覚が発達している動物と言えます。
雌雄同体の生殖
ヤムシは卵巣と精巣が同時に成熟する同時性雌雄同体ですが、1個体で繁殖することはなく、他個体から精子受けることで体内受精をして産卵します。その配偶パターンは定型的で、体を上下に動かす求愛行動からはじまり(図3a, b)、2個体が接近した後で(図3c, d)、整列し(図3e)、一方がジャンプをして相手個体に精子の転送を行います(図3f, g)。精子転送の際には、2個体が同時に行う場合(同時性交配)と、交互に行う場合(交替性交配)とがみられ、これは種により異なります。交替性では雌雄の性役割のいずれか一方を先にすることになります。このような性役割の決定に関わる要因を調べると、体の大きな個体が先に雌役をする傾向があります。求愛行動で体を動かすことで水流が起こりますが、これが相手の接近やサイズを知る手がかりとなり、個体間のコミュニケーションのための信号となっている可能性があります。雌雄同体の動物が子孫を残すためにどのような工夫をしているのかを調べる上で、ヤムシは扱いやすくて面白い動物であると思います。
日本沿岸のイソヤムシ
先にも述べましたが、各地でイソヤムシの採集を行ったところ、同所的に生息することはほとんどありませんでした。ところが、金沢大学臨海実験所に近い能登半島の九十九湾で採集したところ、個体数は少ないものの5種も見られました。一部は北海道の忍路や岩手県大槌にも生息している種でしたが、ヤムシとしてはこれまでに知られていない卵胎生の種や、付着性の鰭の発達程度が未熟な種なども見られました。日本におけるイソヤムシ類の多様性を示すものであり、この海域での調査も興味深いですが、イソヤムシ類の生物地理学的な研究も可能になってきました。世界的に見ても日本沿岸に生息する種数は多く、さらに多くの新種が見つかることも期待されます。新しいヤムシとの出会いがあって、一緒に研究室で暮らしながらヤムシを調べられることが、ヤムシ研究の最大の魅力かもしれません。
東京都目黒区上目黒1丁目26番1号
中目黒アトラスタワー313
- TEL
- 03-3713-5635
当財団は、ナチュラルヒストリーの研究の振興に寄与することを目的に、1980年に設立され、2012年に公益財団法人に移行しました。財団の基金は故藤原基男氏が遺贈された浄財に基づいています。氏は生前、活発に企業活動を営みながら、自然界における生物の営みにも多大の関心をもち続け、ナチュラルヒストリーに関する学術研究の振興を通じて社会に貢献することを期待されました。設立以後の本財団は、一貫して、高等学校における実験を通じての学習を支援し、また、ナチュラルヒストリーの学術研究に助成を続けてきました。2024年3月までに、学術研究助成883件、高等学校への助成127件を実施しました。