北海道シンポジウム レポート 2018.11.12
2018年10月14日(日)に、北海道シンポジウムを開催いたしました。2名の財団理事より寄稿されましたレポートを掲載いたします。
なお、当日の講演者の方々のうち、森本元氏は、当財団の学術研究助成を平成22年度第19回にお受けになられた方です。
上段左から: 森本元・千葉謙太郎・田中公教 / 下段左から: 田中康平・江田真毅・小林快次(敬称略)
【レポート1】矢島 道子 (日本大学文理学部非常勤講師・日本地質学会理事・財団理事)
東京以外で開催するシンポジウムの第2回として、藤原ナチュラルヒストリー振興財団と北海道大学総合博物館が共同主催で、北海道シンポジウム「恐竜と鳥のはざま」が2018年10月14日(日)に北海道大学理学部大講堂で開催された。後援は自然史学会連合、日本古生物学会、日本分類学会連合、日本鳥学会北海道教育委員会、札幌市教育委員会、北海道新聞社、NHK札幌放送局であった。このシンポジウムは、大変おもしろく、筆者にとって得ることがとても多かった。報告していく。
まず、聴衆が立派だった。メールで応募していただく形をとったのだが、開催の1カ月前から満員となっていた。小学生の応募もあったが、藤原ナチュラルヒストリー財団は若い研究者を育てたい希望があったので、中学生以上ということでお引き取り願った。すみません。さすが、恐竜というテーマだと応募が多いなあと思ったし、どんな人たちが参加されるのか楽しみであった。当日、早くから会場は満員となった。217名の出席だった。理学部大講堂は急傾斜の階段状の座席なのだが、聴衆の熱気が迫ってくるようだった。それぞれの講演の後の質問が素晴らしかった。恐竜がどんなに好きであっても、研究するのと勉強するのは違うから、ちょっと方向違いの質問もあるかなあと予想していたが、とんでもない。研究者も舌をまくような質問が続出した。よくここまで勉強されているなあと驚嘆した。さすがである。
もちろん、講演された方々も立派だった。本シンポジウムでは、6,600万年前まで、世界を征服した恐竜がなぜ地上を捨て空へ飛び立ったのか、その「恐竜」と「鳥」との間について、最前線の若き研究者たちが、思いのたけを語った。
最初は、「鳥の色・恐竜の色~なぜ恐竜の色を現代の鳥類の発色から検討できるのか~」を、山階鳥類研究所の森本 元さんが話した。恐竜の色は今までのところ定説がない。皮膚の化石の産出は少ないし、化石の皮膚の色は、もともとの恐竜の皮膚の色ではない。恐竜が鳥になったことが定説になってから、鳥の色を調べて、恐竜の色を推測することができるようになった。鳥の羽毛に見られる微細構造が恐竜に見られないかを探っていくのである。もっと研究が進むと、より実証的に恐竜の色が復元されるであろう。
2番目の講演は「恐竜の派手な見た目は何のため? 鳥の雌雄差から考える角竜の進化」を、岡山理科大学の千葉謙太郞さんが話した。角竜の仲間は派手な襟飾りをもつことで知られている。これはなんだろうかと千葉さんは考えた。どうやら、体が小さくても成体で、襟飾りのない角竜がいることがわかってきた。これによって、襟飾りは性的二型を表していると考えられるようになった。この考えは、鳥の性的二型の例を参考にしたという。
3番目は「海をめざした恐竜時代の鳥類」を兵庫県立人と自然の博物館の田中公教氏が話した。現在、海に棲んでいる鳥は飛ぶもの、飛ばないものいろいろいる。これは海に棲む恐竜の復元にとても参考になる。そして、中生代に絶滅した海鳥の謎解きをした。
休憩をはさんで、「卵化石から探る恐竜の巣作り」を名古屋大学博物館の田中康平氏が話した。恐竜の卵の化石は多く発見されている。しかしこれまで基本的な情報、たとえば孵化日数もわからなかったのだ。今、生きている鳥の卵の重さや卵の殻の性質など、孵化日数と関連する性質を見出し、それを恐竜に応用して孵化日数を割り出したという。孵化日数から子育ての戦術まで考えられるという。恐竜の卵の研究は始まったばかりのようだ。
次は「分子生物学から恐竜を探る!?」を北海道大学総合博物館の考古学者、江田真毅氏が黒い帽子をかぶって話した。考古学者インディ・ジョーンズを模したという。考古学者がなんで恐竜と思われるかもしれない。北海道の遺跡からアホウドリの骨が多数産出する。それを現代的につまり分子生物学的に調べると、いろいろなことがわかってくる。そして、アホウドリは鳥だから、恐竜研究に結び付くというわけだ。
最後は「鳥の特徴を持つ鳥じゃない恐竜たち」を北海道大学総合博物館の小林快次氏が話した。飛ばない鳥と胃石の話をされた。さすが、小林氏は、ラジオの夏休みこども相談で上手に解答されている先生だ。話は楽しい。恐竜を食べたらどんな味がするか、やっぱり鳥のササミとワニの味がするだろうという答えは説得力がある。こんなこと、一昔前は考えもつかなかった。
恐竜研究がおもしろくなったのは、恐竜が絶滅しないで鳥になったという説が有力になったからだ。恐竜は絶滅していて、わからないことが多い。現在生きている鳥を調べて、恐竜と比べようという研究戦略がうまくいくようになったからだ。このシンポジウムを貫いていたのは、実は、現在は過去の鍵という基本原則だと思う。
国際古生物学連合(IPA)は今年(2018年)10月の第2週を化石の日とすることを決め、それを受けて、日本古生物学会は10月15日を化石の日とした。本シンポジウムはちょうど第1回化石の日の1日前の開催となった。恐竜の好きな子どもたち、若者たちから、研究者が輩出して、もっと恐竜研究が進むだろうことを、本シンポジウムで確信することができた。
【レポート2】上田 惠介 (立教大学名誉教授・日本野鳥の会副会長・財団理事)
藤原ナチュラルヒストリー振興財団は2009年から国立科学博物館との共催によって、ナチュラルヒストリーに関するシンポジウムを毎年、上野(東京)で開催してきた。一昨年より、東京を離れて、地方での開催プログラムがスタートした。今年は北海道大学総合博物館との共催で「恐竜と鳥のはざま」というテーマで、活躍している鳥類と恐竜の若手研究者に、鳥類が恐竜からどのように進化したのか(それとも鳥はもともと恐竜なのか)について、「鳥と恐竜のはざま」というタイトルで縦横無尽に語ってもらった。結果を先に書くと、とても成功した講演会だと思う。
講演者と講演タイトルは、以下の6題であった。
- 森本元(山階鳥類研究所):
- 「鳥の色・恐竜の色〜なぜ恐竜の色を現代の鳥類の発色から検討できるのか~」
- 千葉謙太郎(岡山理科大学):
- 「恐竜の派手な見た目は何のため?鳥の雌雄差から考える角竜の進化」
- 田中公教(兵庫県立人と自然の博物館):「海をめざした恐竜時代の鳥類」
- 田中康平(名古屋大学博物館): 「卵化石から探る恐竜の巣作り」
- 江田真毅(北大総合博物館):「分子生物学から恐竜を探る!?」
- 小林快次(北大総合博物館):「鳥の特徴をもつ鳥じゃない恐竜たち」
3時間のシンポジウムは普通なら、ちょっと長過ぎると思う。聴衆の集中力から言って、2時間くらいが限界だろう。しかも聴衆は専門の研究者ではなく一般市民。これは大変かなというのがシンポが始まるまでの私の偽らざる気持ちであった。だがこの心配は杞憂に終わった。シンポジウムは大成功であった。
森本さんは現生鳥類の色彩の研究者である。鳥の色には色素による発色と羽毛の構造による発色があり、鳥たちはこの2つのメカニズムを使って、さまざまな色彩を生みだしている。鳥と近い羽毛恐竜にもメラニン顆粒の存在が化石から知られており、過去に灰色や褐色で描かれて来た恐竜たちの復元図は、今後、大幅に変わっていくだろう。
千葉さんの話はトリケラトプスなどの角竜がもっている巨大なツノが、実は孔雀などに見られる雄と雌の大きな差で、性的二形なのではないかということが、化石骨の成長輪からわかってきたというお話しで、恐竜はますます鳥と同じだなと感じた。
兵庫県立人と自然の博物館の田中さんの話は、恐竜たちがまだ生きていた白亜紀の後期に海に進出していた歯を持った魚食鳥たちの話だった。それにしても、なぜ鳥は歯をなくしたのだろう。魚を取るなら歯があった方が、断然、便利だろうと思うのは素人考えか。ますます鳥の進化に興味を覚える講演であった。
名古屋大学博物館の田中さんの話は恐竜の巣と卵の化石から何がわかるかというもので、私は恐竜の卵化石が定量的な解析に耐えるくらい多数発掘されていることをこの講演で初めて知った。それと恐竜研究者というのは鳥の研究者と同じく、フィールドワークが基本だなと改めて思った。
江田さんは元々は縄文の考古遺跡から出土するアホウドリの骨の解析がメインのテーマだったと思うが、これまでにさまざまな古代DNAサンプルの解析にかかわる中で、古代のDNAはどこまで解析可能かという、分子生物学の解析技術の可能性にかかわる話をされた。興味深い講演だった。
最後に登壇した小林さんは、恐竜の仲間としての鳥類の進化の過程で食性が肉食から、雑食、植物食へと変化して多様性を生み出していったプロセスを胃の中にある消化を助ける胃石の存在と結び付けて話された。また羽毛に覆われた翼が飛翔のみのためではなく、翼が抱卵にも用いられてことなど、現在の化石研究の到達点からわかりやすく解説された。
最後は、北大総合博物館の館長から、全体を大変要領よくまとめた総括があり、盛大な拍手とともに閉会した。良い会であった。
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当財団は、ナチュラルヒストリーの研究の振興に寄与することを目的に、1980年に設立され、2012年に公益財団法人に移行しました。財団の基金は故藤原基男氏が遺贈された浄財に基づいています。氏は生前、活発に企業活動を営みながら、自然界における生物の営みにも多大の関心をもち続け、ナチュラルヒストリーに関する学術研究の振興を通じて社会に貢献することを期待されました。設立以後の本財団は、一貫して、高等学校における実験を通じての学習を支援し、また、ナチュラルヒストリーの学術研究に助成を続けてきました。2024年3月までに、学術研究助成883件、高等学校への助成127件を実施しました。