第15回シンポジウム「味の自然史」(ハイブリッド)感想 2023.11.24
藤原ナチュラルヒストリー振興財団第15回シンポジウムを、9月24日(日)に「味の自然史」をテーマとして、ハイブリッドで開催した。
参加者は、会場35名(中央大学 後楽園キャンパス)、オンラインでは68名の合計103名となった。一般の参加者のほか、中高生を含む学生の姿もみられた。
「味」について、次の4人の演者により講演がなされた。戸田安香先生「脊椎動物における旨味・甘味の進化史」、三坂巧先生「おいしさを決める「味覚」の不思議」、永田晋治先生「無脊椎動物・節足動物・昆虫が感じる味」、國府方吾郎先生「自然史から和食を考えてみよう-国立科学博物館の特別展「和食」を例に-」。各講演後には会場とオンライン参加者と講師による質疑応答が行われた。
「毎回楽しみにしている」「1つのテーマを多様な視点から聞くことができるので良い」などのご感想等をいただいた。
今後も会場での参加のほか、全国からの参加が可能であるオンラインとのハイブリッド開催を検討したい。
上段左: 戸田安香 氏 右: 三坂巧 氏 下段左: 永田晋治 氏 右: 國府方吾郎 氏
【レポート】西田治文(中央大学 理工学部 教授・財団理事)
藤原ナチュラルヒストリー振興財団第15回シンポジウム「味の自然史」を、9月24日(日)に中央大学理工学部(東京都文京区)において開催しました。2019年の第11回以来、4年ぶりに対面会場を設け、同時にWeb参加を加えたハイブリッド形式としました。参加者は対面で35名、Zoom参加は全国各地から68名、計103名を数えました。参加については、より効果的な広報を展開するよう努力いたします。
「味」をわずか4人の講演で伝えきることはもとより不可能なことですが、誰もが日常体験することなので、それぞれの発表から多くの知的あるいは"味的"刺激さえ受けることができました。会場とWebそれぞれから質問が出され、「味の自然史2」もありうると思うほどにいろいろな興味があふれてくる時間でした。
味の素材も、味わう主体もほとんど生物なので自然史という視点からは生き物に偏ることことが懸念されました。実際は、水や地形、土壌、気候などの地学的要素も味に関わることが講演では示されました。
今回の企画は、10月から始まる国立科学博物館の特別展「和食」と連携しており、味が文化の形成要素として欠かせないことも再認識できました。 対面開催の長所があらためて確認できた一方で、今後はハイブリッド開催が定式化すると思われます。最後に、会場と設備を提供いただいた中央大学に深く感謝申し上げます。
【レポート】瀧澤美奈子(科学ジャーナリスト、財団評議員)
若い営業マンへの指導で、取引先での雑談に困ったら「食の話をすべし」というのを聞いたことがある。食べることに関しては誰もが共通して興味を持っているテーマだから、どこからでも話が弾む。テレビのグルメ番組なども、視聴者の口にはひとかけらも入らないのに、大写しの映像と巧みな食レポを聞き、味わいを想像するだけで幸せな気分になれる。それだけ「味」は私たちにとって共通の大切な感覚である。
同時に、ある人にとっては「この上ない喜び」をもたらす味が、別の人にとっては「絶対に嫌忌しなければならないもの」になることもある。たとえば筆者はあめ色玉ねぎの甘さが好きなほうだが、同じ血を分けた兄にはどうしても受け入れられない。トロトロに溶けて、玉ねぎの痕跡など全くなくなったカレーを一口食べたたけで、「玉ねぎ、入れたでしょ!」とたちまち彼の精密センサーが作動するのである(ちなみに生の玉ねぎは好物だそうだ)。
このように味というのは共通の興味であると同時に主観性の高いものでもある。それを科学に隣接した自然史として捉えると、いったいどのような「味わい」が生じるのか、興味津々でシンポジウムに参加した。
蜜の味は「甘い」ではなく「旨い」?トップバッターの話者は、明治大学農学部の戸田安香さん。
まずシンポジウム全体を理解するための話として、味覚を科学の言葉でとらえれば「食べ物にふくまれる化学物質(味分子)を脳が認識するまでの経路」となる。それこそ味もそっ気もない感じがしないでもないが、ともかく一番先に重要なのが「味分子の受容」である。舌には味蕾(みらい)という、「味細胞」(みさいぼう)が集まった器官があって、味細胞で甘味なら糖分子、旨味ならアミノ酸などの味分子が体外から入ってきたのを感知し、その情報が神経細胞を介して脳に伝達され、味を認識する。
さらに細かくみると、じっさいに味分子を感知するのは味細胞の細胞膜にある「味覚受容体」というセンサー分子である。味覚受容体にはいくつか種類があり、たとえば糖分子がくっつく先は甘味受容体、アミノ酸やヌクレチドがくっつく先が旨味受容体である。
この受容体については遺伝子配列がわかっている。また戸田さんたちの培養細胞を使った技術を使えば、どのような味分子(糖やアミノ酸など)をどの受容体が感知しているのかという対応状況も正確にわかる。
ここで戸田さんが注目するのは動物種の間の違いである。これまでの研究で、さまざまな動物で比較してみると、進化に応じて味覚受容体の一部が退化して失われたり、あるいは復活したりということが見られるという。たとえば、ネコ科やイタチ科の肉食動物では甘味受容体が失われて甘さが感知できない。竹食のパンダは旨味受容体が失われて肉の旨味を感じることができない。食べ物を丸呑みするアシカやイルカは、なんと、甘さも旨味も感知できない!こういったことが分子レベルでわかっているという。
戸田さんの最近の研究で興味深い知見が得られたことが紹介された。鳥類は甘味受容体を失っているが、ハチドリやヒヨドリなど、花の蜜を吸う種では甘さを味わうことができる。ただしその味覚受容体は、ヒトなどで旨味受容体として機能している受容体分子であることがわかった。ひょっとすると鳥は花の蜜をなめるときに甘さではなく旨さを感じているのかもしれない。
戸田さんは「今度、花の蜜を吸う鳥を見かけたら、旨いと感じているかもしれないと思って眺めてみてください」と聴衆に語りかけた。花の蜜を吸う鳥を観察する楽しみが増えた。
好き嫌いはどこからくるのか二番目の話者は上述の戸田さんの出身研究室の師である東京大学大学院の三坂巧さん。『おいしさを決める「味覚」の不思議』と題して、素人にも身近な話題をいろいろ披露してくれた。基本味には「甘い、すっぱい、にがい、うまみ、しょっぱい」の5つがあるが、これはエネルギー、腐敗、毒物、タンパク質、ミネラルといったものを「食べるべきかどうかを判断するための材料」として知覚されている。
三坂さんは、人によって好き嫌いがあるのはなぜかということも研究テーマにしている。好き嫌いの原因としては、①本能、②食経験による嗜好性変化、③親の食事が子どもの嗜好に影響する、ということが実証されているという。たとえば「生ガキを食べて吐いた」という記憶は②として刻まれ、嘔吐の原因はノロウィルスであるにもかかわらず、火の通ったカキであっても避けるようになる人がいる。
この話を聞いて、先述の「玉ねぎ問題」についてピンときた。兄が保育園で給食に出された煮玉ねぎを残した時に、保母さんからキツく叱られた経験があると言っていたことを思い出したのだ。兄はいま五〇代後半である。幼少期の体験とは恐ろしいものだ。 味の感じ方は、一人の人のなかでも年齢や状況によって大きく変わる。こういったことを研究するのも農学部の役割であるということで、三坂さんは「ぜひ興味を持って欲しい」と若い聴衆に呼びかけた。
昆虫は脂が好き三番目は『無脊椎動物・節足動物・昆虫が感じる味』と題して東京大学大学院の永田晋治さんが節足動物での匂いや味を感じる化学受容の仕組みについて話してくれた。昆虫も味を感じているということは、言われてみればそうだが、これまであまり考えたことがなかった。 食べるというのは、基本的に食べ物の匂いを感じて口に入れる行為である。昆虫では陸上に上がったことで肉を探してそれを食べる能力が発達したという。とくに口に最も近い小顎髭(しょうがくしゅ)や下唇髭(かしんしゅ)と呼ばれる部分に味分子を感じる「化学受容体」があり、これが動物の味覚受容体に相当する。化学受容体は味分子だけでなく、水やフェロモンなども感じる。
昆虫が感じている味の種類は他の動物と同じだそうである。甘味が好きなことも共通しているが、脂質を好むことが節足動物の特徴だという。骨格の代わりに殻に覆われている昆虫は脂質で膜をつくり外からの水分の侵入を防いでいる。このため昆虫にとって脂質は特に重要だと考えられている。
何を食べるべきかを決めるのは、中枢神経系のすぐ下にあって脳に直結している「側心体」で、体の中の栄養状態を感知して脳に知らせている仕組みを、最近、永田さんたちが世界で初めて解明した。
話の結びに永田さんは自身の研究を「趣味のような研究」とやや自虐的に表現したが、このようにひたすら知的好奇心に導かれる基礎研究も重要だと感じた。
なぜ野菜のほぼ全てが渡来植物なのか最後は『自然史から和食を考えてみよう』という演題で国立科学博物館の國府方吾郎(こくぶがた・ごろう)さんが登壇した。国立科学博物館では今年10月から「特別展 和食〜日本の自然、人々の知恵」が開催される。日本人の食の好みや、それを体現してきた和食は、日本の自然環境や日本人の生活史と密接だから、「和食を自然史学的に考えると結構面白いことが見えてくる」という。展示では和食の食材として利用されている水、魚介類、植物、藻類、菌類などを紹介し、和食に特徴的な旨味についての展示もあるという。
味の話題ではないが野菜の話が面白かった。日本列島には7,500種以上の植物が自生しており、そのうち食べられる野生植物は1,000種類以上だそうだ。しかし、意外にも現在、和食の食材として利用されている野菜のほぼすべてが外国から渡来した植物である。
ではなぜ日本原産の野菜が少ないのか?という素朴な疑問が湧いて、國府方さんに質問してみた。すると、世界の野菜のほとんどはアンデス地方や地中海地方の原産なのだが、その理由は不明だそうである。それならば逆に、これから品種改良をすることで野菜になり得る日本原産の植物がまだあるのではないか?そのように思ってさらに質問してみたところ、國府方さんは琉球地方で山菜として食べられてきたオオタニワタリにその可能性があると思って研究しているということだ。
以上、本シンポジウムでは、動物、ヒト、昆虫、そして最後は和食といった視点から食や味覚についての発表を聞いて楽しませてもらった。動物は進化の過程で、食性に応じて味覚を変化させてきたと思われるが、美食を追求するヒトはいったいどこに向かっているのだろうかと神妙な気持ちにもなった。
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当財団は、ナチュラルヒストリーの研究の振興に寄与することを目的に、1980年に設立され、2012年に公益財団法人に移行しました。財団の基金は故藤原基男氏が遺贈された浄財に基づいています。氏は生前、活発に企業活動を営みながら、自然界における生物の営みにも多大の関心をもち続け、ナチュラルヒストリーに関する学術研究の振興を通じて社会に貢献することを期待されました。設立以後の本財団は、一貫して、高等学校における実験を通じての学習を支援し、また、ナチュラルヒストリーの学術研究に助成を続けてきました。2024年3月までに、学術研究助成883件、高等学校への助成127件を実施しました。